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名古屋地方裁判所 平成9年(ワ)2727号 判決 1999年5月07日

原告

甲野春男

右訴訟代理人弁護士

藤井繁

伊藤勤也

海道宏実

加藤美代

兼松洋子

坂本貞一

長谷川一裕

松本篤周

村上満宏

鈴木次夫

被告

大東京火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

小澤元

右訴訟代理人弁護士

島林樹

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金四〇〇〇万円及びこれに対する平成八年七月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が左記一1の保険契約及び同2の事故の発生を理由に被告に対し死亡保険金を請求する事案である。

一  前提事実(特段の記載のないものは争いのない事実及び弁論の全趣旨により認められる事実)

1  保険契約

訴外甲野秋雄(以下「亡秋雄」という。)について、被告は左記のとおり保険契約を締結した。

(一) 契約の種類 傷害保険

(二) 契約日 平成七年六月一日

(三) 契約者 西尾商工会議所

(四) 被保険者 亡秋雄

(五) 保険金額(死亡) 四〇〇〇万円

(六) 受取人 原告

2  事故

(一) 日時 平成八年二月三日午後一一ころ

(二) 場所 和歌町県東牟婁郡熊野川町宮井<番地略>(国道一六九号線)

北東約三五〇メートル先付近

(三) 態様 亡秋雄運転の普通貨物自動車(以下「事故車両」という。)が、走行中ガードレールのない場所から北山川右岸斜面に滑落した。

3  亡秋雄の死亡

亡秋雄は右の斜面上で凍死した。

4  保険金請求

原告の死亡保険請求に対して、被告は、平成八年七月一日、支払いを拒否した。

二  争点

1  事故車両の滑落と亡秋雄の死亡の因果関係

2  事故車両の滑落が傷害保険約款一条にいう「偶然な事故」に該当するか。

(一) 原告は、亡秋雄運転の自動車が凍結した路面にスリップして路外に出て滑落したものと推認でき、偶然な事故に当たると主張する。

(二) 被告は、本件事故態様の不自然性、亡秋雄の事業経営の破綻、亡秋雄の離婚など家族関係の喪失、亡甲野の実直で律儀である一方頑固一徹である性格等に照らし自殺であることが推認できるから、偶然な事故とは言えないと主張する。

第三  争点に対する判断(成立に争いのない書証、弁論の全趣旨により成立を認める書証については、その旨記載することを省略する。)

一  事故車両の滑落と亡秋雄の死亡の因果関係

甲第二号証、第三号証、第一四号証、乙第六号証及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  平成八年二月四日朝に事故車両が発見された時、事故車両は国道一六九号線の下北山川右岸斜面に倒立した形で滑落しており、車両の助手席ドアは開放状態であった。事故車両は主として右前部の下方に損傷があり、屋根や側面には大きな損傷はなかった。車内運転席下部には血痕と吐血が見られた。事故車両が発見された斜面は約一五メートルの高さの急斜面であるが、途中に岩が露出しており、この岩に擦過痕がある。

2  事故現場付近の住民は、平成八年二月三日の午後一一時ころ、数分の間隔を置いて二回異常音を聞いている。

3  亡秋雄は両足を川底の岩盤に投げ出し、上半身を左斜め後方の崖の斜面にもたれかける姿勢で死亡していた。顎部及び口の中に損傷があったが、死に至る程度の傷ではない。両下肢の上に事故車両の左前輪が乗った形で、腰から下肢にかけて足の半分ぐらいの高さまで水没していた。死因は凍死と診断され、凍死に至る時間は約三時間程度と推定されている。

4  同日未明から早朝にかけての和歌山県の山間部の気温は氷点下であった。

これらの事実に照らすと、亡秋雄は、最初の滑落で顔面に受傷して自力で助手席側から車外へ出たが、直後に事故車両が再び斜面を滑落し、その際下肢が車両に挟まって身動きができないまま凍死したものと推定され、この経過に照らすと、被害車両の国道からの滑落と亡秋雄が被害車両に両下肢を挟まれ動けなくなったこと及び亡秋雄の凍死とは一連の因果の流れにあることが認められる。

二  「偶然な事故」の該当性

前記認定のとおり、被害車両の滑落と亡秋雄の死亡との間に因果関係が認められることから、傷害保険約款にいう「偶然な事故」の該当性を被害車両の滑落について検討する。

1  滑落の原因

甲第二、第三、第五号証、乙第四号証の三、第六、第一二、第二〇号証、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 国道一六九号線は本件事故現場手前の宮井大橋手前で国道一六八号線から分岐して北山川に沿って北上しており、本件事故現場付近では北山川に沿ってほぼ南北にまっすぐ通じており、国道の幅員は約3.5メートルであって、西側は山が迫り、東側は北山川が流れている。国道の北山川側にはおおむねガードレールが設置されているが、本件事故現場付近は三〇メートル前後にわたってガードレールが切れている。事故現場付近に街灯は設置されていない。

(二) 被害車両は、国道と北山川との間の斜面の最下部に、車両前部が水面に接する形で国道とほぼ直角に停止している。国道の路肩には被害車両の痕跡はなく、斜面中央の岩が露出した部分に擦過痕、その下部に落土痕がある。これらの痕跡及び前述のとおり被害車両の側面にほとんど損傷のないことに照らすと、被害車両はその前部を国道からほぼ直角に路外に出し、そのまま滑落する形で滑落して水面に接する位置で停止したことが推認される。

(三) 本件事故の前日である平成八年二月二日の未明から紀南地方全域に降雪があったが(甲五)、本件事故現場に近い和歌山地方気象台本宮地域雨量観測所(和歌山県東牟婁郡本宮町本宮二六〇―一)では翌三日午前九時の積雪は無く、三日午後三時から午後一二時までの降水量も無降水または一ミリメートル未満であった(乙二〇)。そして、本件事故の発見者ら、事故処理に当たった警察官らのいずれも路面の凍結や積雪に言及しておらず、本件事故の実況見分が行われた四日午前九時二〇分ころには本件事故現場の路面は乾燥していたことが認められる。

これらの事実に照らすと、本件事故がったと推定される三日午後一一時過ぎに路面に積雪や凍結があったとは認められないから、被害車両がスリップにより亡秋雄の意思に反して道路と直角に路外に出たものと考えることは不自然であり、したがって、亡秋雄がその意思に基づいて被害車両のハンドルを大きく右に切ったために被害車両が路外に出て滑落したものと推認することができる。

2  亡秋雄の経済状態

甲第四、第六、第九、第一〇号証、乙第五号証の一ないし二二、第七号証、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 亡秋雄は、乙川織布工場の名称で織物生産を業としていたものであるところ、その経営は苦しく負債がかさんでいた。そこで、平成六年一月、その所有土地を代金三億〇六九七万円で売却し、その売却代金で負債を精算し、その残余で自宅を建て替えるとともに、ベトナムで新規に事業を行うこととした(甲九、一〇、乙七)。

(二) そこで、亡秋雄は、乙川織布工場を廃業し、ベトナムの国営企業ビコテックス(VICOTEX)との間で、平成六年一〇月、乙川織布工場の自動織機等の機械を賃貸し、ビコテックスがその機械で縦糸巻き、糊付け、織物の加工を請け負う契約を締結した(甲四)。ベトナムでの生産は平成七年夏ころようやく可能となり、平成八年二月ころから現地の原料で稼働を始め、これから原料の調達が順調にできれば軌道に乗るであろうという状態であった。

(三) しかし、ベトナムで生産された製品の一時保管場所として亡秋雄が予定していた元乙川織布工場の倉庫は、その敷地が元妻の土地であり、建物収去土地明渡訴訟を提起されていたため、製品の保管場所に苦慮していた(甲六)。また、手元資金は底をつき、平成七年八月ないしは九月ころ、取引先である辻野化学工業株式会社に支払期日が同年一〇月末の約束手形を一二月にジャンプして欲しいと依頼したものの、これを含む支払期日平成七年一二月二五日の約束手形七通(額面合計八七三万八〇〇〇円)と、支払期日平成八年一月二五日の約束手形八通(額面合計七八二万五二三〇円)について最終的に決済資金を工面することができず、いずれも不渡りとして平成八年一月二五日には銀行取引停止となった(乙五の一ないし四、乙五の五の一、二、乙五の六の一、二、乙五の七の一、二、乙五の八の一、二、乙五の九の一、二、乙五の一〇の一、二、乙五の一一の一、二、乙五の一二の一、二、乙五の一三の一、二、乙五の一四の一、二、乙五の一五の一、二、乙五の一六の一、二、乙五の一七の一、二、乙五の一八の一、二、乙五の一九の一、二、乙五の二〇ないし二二、乙七)。

(四) 本件事故当時、右の手形債務のほか西尾信用金庫本店営業部に対して、割引手形債務二六九万五八〇〇円、証書貸付債務三六六七万七八〇〇円の債務があり(乙五の一)、自宅の土地建物について極度額六〇〇〇万円の根抵当権を設定していた(乙七)。

以上によれば、本件事故当時、亡秋雄の経済状態は、ほぼ破綻状態にあったことが認められる。

3  本件事故直前の亡秋雄の行動

乙第七、第八号証、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 銀行取引停止処分後、同年一月三一日に取引先である辻野化学工業株式会社(大阪府泉南市樽井一丁目一一―五)の代表者が亡秋雄に電話したところ、応対に出た妹は「大阪へ行くと行って車両で出た。」と答えた。亡秋雄の妹の記憶では、亡秋雄は、同年二月一日ころにいったん自宅に帰り、「大阪へ行って来るから。」と言って再び一人で車両で出かけた。

(二) 同年二月一日午後二時頃、亡秋雄は、四日市東インター付近で取引先と会い、現金決済後の残代金(一〇万円未満)を受け取り、「今から大阪の泉州へ行く。岸和田の近くです。」と述べて、午後五時ころ四日市東インターに向かった(乙七、八)。

(三) しかし、亡秋雄は、四日市東インターから大阪府の岸和田方面へ向かう最短ルート上からかなりはずれた三重県勝浦町湯川所在のさくら旅館に午後九時三〇分ころ入り、同旅館から、辻野化学工業株式会社に、ファクシミリで送信した。その文面は、「昨夜貴社へお伺ひ申上げるべく出発しましたが途中より那智勝浦方面の四二号線へ入り、そして、瀞八丁方面の一六八号線(不明)線のどちらかより明朝お伺ひ申上げます、宜敷く今夜那智を一二時頃出発致します。今はホテルに泊って居ります。」というものだった(乙一四)。

(四) その後、右旅館を深夜に出発したものの、翌朝に辻野化学工業株式会社へは出向かずに、三重県内で北山川瀞峡の観光船(ウォータージェット)に乗船している。この観光船は、三重県東牟婁郡熊野川町志古の発着所から北山川を遡上して瀞峡まで往復するもので、本件事故現場付近を通過しており、本件事故現場付近では船上から国道一六九号線を見ることができる。船上から見た国道一六九号線は、宮井大橋から約五〇〇メートル付近までの道路拡張工事中の部分で道路から川面までが絶壁となっている。本件事故現場は、この拡張工事地点から数十メートル北のガードレールが切れた位置である(乙六、九)。

(五) 本件事故現場は、勝浦から泉南市へ向かう経路の一つとして考えられる国道一六八号線からはずれて国道一六九号線に入り宮井大橋を渡った先にある(乙一三)。

4  亡秋雄の家庭状況

弁論の全趣旨によれば、亡秋雄は、平成六年三月二二日に妻との間で調停離婚を成立させたこと、亡秋雄と妻との間には長男である原告のほか二人の子供があったが、いずれも成人して独立していたことが認められる。

5  考察

前述のとおり、事故車両の滑落は亡秋雄がその意思に基づいてハンドルを右に切ったものと推認されるところ、国道一六九号線に入った時点で右側が北山川であることは容易に認識できる状況にあること、本件事故現場付近はほぼ直線道路であること、前掲各証拠によっても本件事故現場付近に紛らわしい標識や橋と見間違える設備も認められないことに照らすと、通り慣れた道でないのであれば尚のこと慎重に運転するのが通常であることからしても、亡秋雄が誤って右折するために右にハンドルを切った可能性は極めて低いということができる。

他方、前述のとおり、亡秋雄は経済的に破綻状態といいうる状態にあったこと、同人を支える同居の家族もいないこと、二月一日の時点で既に岸和田方面へ向かうことを話していながら、最短経路を取らずに遠廻りをして本件事故現場付近に至り、その岸和田方面にある不渡りを出した取引先にこれから向かうと連絡を出して宿を深夜に出発しながら大阪方面に向かわずに結局本件事故現場近くで丸一日を過ごしていること、その間、宿に戻るわけでもなく、取引先に遅れる旨の連絡をするでもなく、遊覧船に乗っているという行動の不可解性に照らすと、自殺の可能性を否定することはできず、かえって、遊覧船から本件事故現場付近の斜面の状況が観察し得ることなど、むしろ自殺の場所を探していたとも取ることができる。

これらを総合考慮すると、亡秋雄の本件転落事故を偶然の事故に当たると認めることはできない。

三  結論

以上によれば、原告の請求は理由がない。

(裁判官堀内照美)

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